‘神社のいろは’ カテゴリーのアーカイブ

彼岸入り

2012年3月17日 土曜日

彼岸、お盆と言えば仏教行事の様な気がしませんか?

仏教が日本へ伝来したのは六世紀半ばと言われていますが、この時に伝わって来た仏教とは中国や朝鮮半島など、経由してきた地域の影響を色濃く受けた物です

例えば位牌は、道教や儒教に由来する先祖供養の民間信仰と習合し、儒教の葬式祭具が変化したものと言われています

世界最古の小説とも呼ばれている『源氏物語』は平安時代中ごろの成立とされています。その中に「彼岸会」の言葉が見られる事から、かなり古くから行われてきた行事と思われますが、日本の「先祖まつり」はそれこそ『古事記』『日本書紀』の中に皇祖の御霊を祀った例が見られ、現在でも宮中では歴代天皇の霊を祀る「春季皇霊祭・秋季皇霊祭」が厳粛に行われています

つまり彼岸とは仏教渡来以前からの日本古来の祖霊信仰とも深く根付いている、と言う事になります

元々日本は祖先信仰が盛んでしたし、大陸の影響を受けた仏教は親しみやすい宗教だったのではないでしょうか?

 

お彼岸と言えば「ぼたもち」ですが、「おはぎ」との明確な区分けは皆様つきますか?

春に作られるモノを牡丹に似ているから「ぼたもち」、秋に作られるモノを萩に似ているから「おはぎ」と言う説がありますが、近年は混同して春でも「おはぎ」等として売られています

また、完全に餅の状態までに搗いたものを皆殺しと言いますが、それで作ったモノを「ぼたもち」、半分程度に搗いたもの(半殺し)を「おはぎ」と言う説もあります

 

 

お稲荷さまについて

2012年3月15日 木曜日

全国の神社の中で最も多いと言われている神社をご存知でしょうか?

その神社は生命の活性化を表し災厄を防ぐと言われている赤色の鳥居が目立ち、狛犬ならぬ狛狐が参拝者を見守ってくれています

油揚げを煮てご飯を詰め込んだお寿司もこの神社の名前がついています・・・と記した所で題名に答えが書いてある事に気が付きました

稲荷神社、と言う神社が全国で一番多いと言われております。氏神としての神社はもとより、家の守り神や会社の守り神としての数を含めれば、とても多くの御分霊が総本社である京都の伏見稲荷大社から勧請されているのではないでしょうか

江戸時代の流行り言葉に『火事・喧嘩・伊勢屋・稲荷に犬の糞』とありますが、これは当時江戸の街中で多かったものを羅列しているそうです。江戸と言えば火事に喧嘩に、伊勢屋と名乗る商家にお稲荷さまを祀った場所に犬の落とし物が沢山あった、と言った所でしょうか

『宇迦乃御魂大神(うかのみたまのおおかみ)』を主祭神とし、『佐田彦大神・大宮能売大神・田中大神・四大神』を共に配祀し五柱の神を祀っていますが、これは『稲荷大神』の広大な御神徳を神名化したものだとされています ※神さまの名前(御神名)は、その地域やその時代によって変化する事があります。挙げた御神名は一例ですのでどうか御留意下さい

 

元々は農業の神さまとして信仰されて来ましたが、物事を生み出す生成発展の信仰から商売繁盛の神さまとして信仰されています

稲荷神社のお祭は「初午祭」が有名です。伏見稲荷大社の神さまが三ヶ峯に降り立ったのが和銅四年(711)の旧暦二月の初めての午の日であった事に由来し連綿と祭祀が行われています

様々な祭祀があり、この辺りでは五色の紙札に子どもの名前を書いて心身健全成長を祈願する習わしがありますし、ハロウィン的な要素を含んだ神事が執り行われる所もあります

旧長岡市内では稲荷と名付けられているお社は約12社ありますが、ご家庭や会社の敷地内にあるお社を含めるともっと多いかもしれません

 

余談ですが、狐と言えば油揚げ! と思ってる方も多いと思います(私だけでしょうか?)

狐=油揚げと言うのは、仏教が日本に取り入れられてから出来上がったモノです

インドのダーキニーと言う神さまはジャッカルを眷族としますが、この神さまが稲荷神に習合される様になると稲荷神は狐を眷族とする事になります

ダーキニーを信奉する人たちは当時貴重な栄養源である鼠のフライをお供えしますが、日本の仏教は戒律が厳しく殺生を禁じる宗派が多いので、とても頭を悩ませました

そこで豆腐の油揚げを代わりに・・・と言うのが、狐=油揚げの由来となったそうです(大)

 

 

 

 

 

日本の神さま⑤

2012年3月10日 土曜日

七福神とは、言葉の通り七柱(はしら・神さまの数え方)の福を齎す神さまであり、お正月になると宝船を模した切り紙などが店先に並んでいるのを見た事がある方も多いと思いますし、1月2日に宝船に乗った七福神の絵を枕の下に入れて眠ると良い初夢が見られるという信仰も根強く残っています

室町時代の頃から福徳を、中でも金運を齎す神々として盛んに信仰される様になってきたと言われています。一般的には『恵比寿・大黒天・弁才天・毘沙門天・布袋・寿老人・福禄寿』の七柱とされています。全て漢字で表わす事が出来るので日本古来の神さまかと思われがちですが、実は日本・中国・インドの神さまが色々と混ざりあって信仰される様になったのが七福神、と言う神さま達なのです

古来より日本の福の神として信仰されて来たのは大黒天・恵比寿の二柱の神さまで、厳密に言えば大黒さまはヒンズー教の神シヴァ神が仏教に帰依した「大黒天」と出雲大社の御祭神である「大国主命」が習合した神さまです。恵比寿さまは海運守護・商売繁盛の神さまで、大黒さまは福徳の神とされています

布袋さまは唐の時代に実在した人物で中国の禅僧であり、福禄寿・寿老人は中国の道教の神さまで共に長寿を象徴し、弁才天・毘沙門天はインドの仏教の神さまで前者は才能・芸能を守護し、毘沙門天は智慧を守護すると信仰されています

 

余談ですが、福神漬けと言うのはこの七福神が由来とされています。七種類の野菜を使った事に由来する、弁才天が祀ってある近くの店で作られた、食べると家に七福神がやってきたかの様な幸福感に包まれる・・・など諸説あります

 

次回からは範囲を狭めて神さまについてブログを書きますので、引き続きよろしくお願い致します(大)

 

日本の神さま④

2012年3月9日 金曜日

日々の生活に於いて、皆さんは火の重要性を考えた事はありますか?

今でこそガスや電気が普及し、火を見る機会と言うのは昔に比べたら少なくなったかもしれません。私も火を身近に感じると言う事はあまりなくなりました

しかし、人間の歴史は火によって劇的に変化しました

寒さを凌ぐために枯れ木を燃やし暖をとり、生では食べられないモノを食べられる様にする為に煮炊きをしました。火の歴史は縄文時代を遡るとも言われています

火は夜を照らす光源となり、煮炊きする為の熱源となりました。暗闇に光を齎し今まで食べられなかったモノを食べられる様にする=物事を良い方向へと変化させる火は、人間の力では及ばぬ神秘の力でしたので、敬うべき対象になったのです

もちろん良い所だけではなく、火の取り扱いを誤れば火事が起き、火傷をし、下手をすれば死に至ります。火事や火傷が起きるのは火の神さまの怒りだと考えられ、それを鎮める為にお祀りしたり捧げ物をしたりして、畏怖の念を示しその力を良い方向に使って頂ける様に祈りました

昔ながらの家は、囲炉裏があり、竈がありました。身近にあるからこそ、私たちの祖先は火に関わる神さまを大切にお祀りしました

また、竈から煙が立ち上る事は、家が栄えているしるしとも言われ、竈の神さまは火の神さまであると共に家の神さまとしての性格も持っています

おそらく、まだ食糧事情が良くなった時代は、頻繁に食物を煮炊きする事は珍しかったのではないでしょうか。日本は年貢制と言って近代まで作物や海産物などを今で言う税金と言う形で納めていました。竈の火が良く立ち上る=お金持ち、と言う考えが浸透しても珍しくはありません

現在でも、竈はガスコンロやIHヒーターに変わりましたが、台所に御札や幣束をお祀りすると言う信仰が各地で残っています(大)

 

 

 

日本の神さま③

2012年3月7日 水曜日

水にまつわる神さまを水神と言いますが、一口に水神と言っても様々な信仰が存在しています

例えば飲料水などを汲む井戸にお祀りする神さまは井戸神と言いますし、流れる川には川の神さまがお祀りされます

水神は蛇や龍、河童などに姿を変えて時折人前に姿を現すとの伝承も各地で残っていますし、前述した存在が水神の使いだとされる場合もあります

水を司る神さまの御姿で蛇や龍が多いのには諸説ありますが、田圃をウネウネと泳ぐ蛇に畏敬して祀ったとも、大陸から渡って来た仏教の経典に影響されたとも言われています

龍の発祥は中国であり、その姿は角は鹿、頭は駱駝、眼は鬼或いは兎、身体は蛇、腹は蜃(しん)と言う巨大な蛤の様なモノ、背中の鱗は鯉、爪は鷹、掌は虎、耳は牛に似ていると言われていますが、中国で仏教が流行った折に蛇神或いは水神であるナーガが経典の中で竜王などと訳され、それが段々と習合されていきました

水神さま=竜、を怒らせると旱魃が、お祀りすると雨を齎すと言う由来はこのナーガと言うインドの神さまの影響が強いようです

また海を司る神さまを海神、ワタツミの神などと言います

海の恵みを齎し、海難から人々を守ってくれる神さまと崇められています

亀や魚や貝など、海の中の生き物は海神の使者であると考えられており、それを助けた為に海の底の宮殿へ行く事が出来たと言う説話を聞いた事がある人も多いのではないでしょうか

 

ここからは余談となりますが、浦島太郎の結末には諸説あります。現在良く知られている竜宮城へ行き、地上に帰って玉手箱を開けたら年老いてしまった、と言うのは室町時代に成立した『御伽草紙』による所が多いようです

原型と思われる話は『日本書紀』にあり、簡単に訳すと「船に乗って釣りをしていると亀が釣れました。その亀は女に化けたので夫婦になり一緒に海に入りました。すると蓬莱山(仙人が住むとされる山)に着いて、歴史を見守る仙人となりました」と言うお話です

より古い信仰ほど海と山の繋がりを強く感じさせる気がします(大)