‘神社のいろは’ カテゴリーのアーカイブ

みどりの日

2012年5月4日 金曜日

昨日境内に振袖を着た若い女の子がいたので話を聞いてみると、長岡市では昨日新しく出来た市役所、アオーレで成人式があったようです

成人の日は一月の第二月曜日でその前日に成人式を行う所が多いのですが、ゴールデンウィークの方が進学や就職で離れた友人にも会えるし、雪などで晴れ着が汚れなくて済むので良い事づくめなのかもしれません

それに五月は新芽の季節ですから、季節的にも門出には相応しい気がします

 

さて、昨日今日と雨が続いていますが、今日はみどりの日。ゴールデンウィークを構成する大切な一日です

元々は4/29がこの日に当たりましたが、現在では昭和の日となっています

これは昭和天皇が崩御し、今上天皇になった時に天皇誕生日が12/23に改められる事になったのですが、ゴールデンウィークを構成する一角の4/29を廃止すると国民生活に影響を及ぼすと懸念されたので、当初はみどりの日として存続されました

その後紆余曲折ありまして、平成19年より4/29を昭和の日、5/4をみどりの日と祝日が設置されました

みどりの日の由来は昭和天皇が植物に造詣が深く緑を愛したからと言う趣旨の意見が多数を占めた事によりきめられたそうです

他の案としては科学の日、と言うのもあったそうですが、いずれにせよ昭和天皇の博識な面が名前の由来になっている、と言うことですね

 

折角のゴールデンウィークですが天気が中々安定しません。風邪などを引かないようにご自愛ください(大)

お諏訪さまについて

2012年3月31日 土曜日

諏訪神社の総本社は、信州諏訪に鎮座されている諏訪大社です

諏訪大社には「上社(かみしゃ)」「下社(しもしゃ)」があり、更に上社は「本宮(もとみや)」と「前宮(まえみや)」、下社は「春宮(はるみや)と秋宮(あきみや)」があります

上社の本宮には健御名方神(たけみなかたのかみ)をお祀りし、前宮には八坂刀売神をお祀りしています

諏訪大社は巨大なモミの木の柱を社殿の四隅に建てる御柱(おんばしら・みはしら)祭や元日の朝に冬眠から覚めた蛙を神前に捧げる蛙狩神事など、特殊な神事が多くあります

健御名方神は出雲国譲りの神話に出てくる神さまで、国を譲った後に長野県諏訪に鎮座して、住民に農耕や養蚕を伝えたので五穀豊穣のご利益がある神さま、また軍神・狩猟の神さまとして古くから信仰されて来ました

 

新潟県は他の県に比べて諏訪神社がとても多く鎮座されています。理由としては江戸時代に長野県の方から入植してきた人たちが一緒に氏神である健御名方神を伝えたとされています

新潟県神社庁長岡支部が発刊している『古志乃おやしろ』と言う旧古志郡の神社を掲載した本の情報によると、全国で一番多いとされている稲荷神社は12社、その次に多いとされている八幡神社は16社となっていますが、諏訪神社は群を抜いて63社ほど鎮座されています(巻末の索引で調べましたので、摂末社や合祀された神さまを含めるとどうなるかは分かりませんが・・・)

 

今日で23年度も終わり、明日からは新しい年度が始まります。今年度は災害など激動と言っても過言ではない一年でしたが、来年度は実り多く幸せな一年であるよう心よりお祈り申し上げます

それではみなさま、来年度もよろしくお願い申し上げます(大)

 

八坂さまについて

2012年3月25日 日曜日

八坂神社の御祭神は素戔嗚尊(スサノオノミコト)と言う神さまで、八岐大蛇退治で有名な神さまです

八坂神社と言えば京都の祇園祭ですが、このお祭は平安時代、疫病退散のために御所内で祇園御霊会が行われたのが最初で、疫病・災害の原因を怨霊と考え、それを鎮める為に午頭天王をおまつりしました

午頭天王は、インドの祇園精舎の守護神と言われており、疫病封じのご利益がある事から仏教伝来とともに、素戔嗚尊と同一視されるようになりました。八坂神社の事を天王さまと呼ぶ所もあるようで、それはこの名残だと言われています

全国各地の八坂神社も、その地域で疫病が流行り、それを鎮めるためにおまつりされた例が多いようです

八坂神社には胡瓜をお供えする事が多々ありますが、これは同一視された午頭天王が悪い神さまから逃げている最中に、胡瓜畑に身を隠し難を逃れたという伝承によるモノです

その他の伝承としては、胡瓜の切り口が八坂神社の御神紋に似ているかと言う説があります(大)

 

 

天神さまについて

2012年3月24日 土曜日

みなさまは横断歩道を渡る時に「とおりゃんせ」を聞いた事がありますか?

とおりゃんせの歌詞の中に「天神さまの細道じゃ」と言う歌詞があります。この歌詞の中の「天神さま」の鎮座する神社は諸説ありますが、天神さまと言えば平安時代の貴族で政治家であった、菅原道真公とされています

菅原道真公の祖父や父は現在で言う官僚育成機関で教鞭を執っていた学者の家に生まれ、自身も幼いころから勉強に励み、特に詩歌の才が優れていたので最年少で国家資格に合格し33歳で文章博士(もんじょうはかせ)と呼ばれる中国正史などの歴史学や漢文学を教える学者となります

菅原道真公が活躍していた時代は、中国の進んだ文化を取り入れて学問を盛んにし立派な国を作る事が行われており、また当時の天皇が藤原氏の専横を良しとしなかったので、藤原氏ではなく中国に関して造詣が深かったので政治の世界でも右大臣の位を戴き大変活躍しましたが、こうした活躍を良く思わない政敵によって讒言され、無実の罪によって九州の太宰府に左遷され、無念の死を遂げました

道真公の没後、都では天災が相次いで起こり、また政敵も落雷によって絶命しました

その後も天変地異が続いた為、これらすべては道真公の怨霊による祟りのせいだと恐れられる様になり、その怨霊の怒りを収める為に京都の北野に道真公を祀ったのが北野天満宮の始まりです

やがて道真公の生前の学問に対する偉大な功績から、学問の神さまとして崇敬される様になりました

道真公は梅をこよなく愛し、道真公を祀る神社の多くには梅が植えられていますが、太宰府に左遷される際に都にある梅の木を見ながら一首詠ったと言われている歌があります

「東風(こち)吹かば 匂ひをこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘るな」

意訳を記すならば、春風が吹く様な季節になったなら、世話をする主人(=菅原道真)がいなくなったとしても、春が来る度に忘れることなく、匂うほどの花を咲かせてくれ、と言う所でしょうか

こんな歌を残される位愛されていたのですから、梅の方も主人を追いたい気持ちが強くなり、やがて空を飛んで太宰府まで飛んで行き見事に主人の元に降り立ったという伝説があり、その梅は現在太宰府天満宮のご神木となっています(大)

春分の日

2012年3月20日 火曜日

今日3月20日は春分の日、国民の休日に定められています。

 

秋の秋分の日と同様に昼と夜の長さが同じとなり、この日を境に徐々に昼が長くなり、いよいよ本格的な春の到来です。次第に日差しが明るくなり、心が穏やかに開放されるのを感じる季節です。

 

また この時期3月下旬から4月上旬にかけて連続した降雨を「菜種梅雨」(なたねづゆ)といいます。菜の花が咲くころに降るためにこのような名前がありますが、梅雨のように集中豪雨をみたりすることは少ないですが、曇りや雨の日が多く、すっきりしない天気が何日も続くことも多いようです。

この時期は職場や学校などで送別や転居などがあったり、年度の区切りなど環境の変化もある季節です。

 

慌ただしいながらも、季節や自然の移り変わりを肌で感じる気持ちの余裕を持ちたいものですね。(桃)