‘御創建1300年事業’ カテゴリーのアーカイブ

金峯神社御創建1300年祭その7

2009年10月17日 土曜日

そしていよいよ最後の演目となりました。

和太鼓衆 転太鼓舞(てんてこまい)の方々です。長岡造形大の学生さんたちで構成される団体で各地の祭りやイベントで大活躍されています。実はこの日太鼓の演目の他に一日中行事のお手伝いも務めていただきました。また午前中にも一回演奏をしていただいています。

転太鼓舞1

とても勢いと迫力がありました。若いっていいですねicon_eek.gif

夜の演奏は最後となって見ている方も少なくなって申し訳なかったんですが、

転太鼓舞2

この通り。元気よく盛り上げていただきました。

演目は以上で終わりとなりました。

この後奉祝祭を盛り上げていただいた皆さんと直会 (なおらい)でした。直会とは硬く言えば、神事の後に神事に参加したもの一同で神酒を戴き神饌を食する行事です。平たく言えば祭りの後の宴(うたげ)です。造形大の皆さんからは最後まで楽しく盛り上げてありがとうございました。あえて写真は載せません。転太鼓舞のブログはこちらです。

また司会の松本さんもすばらしい司会で進行していただきました。松本さんはふだんはFMながおかのパーソナリティーを務めてらっしゃいます。

それから地元の役員や総代さん、氏子青年会の皆様、参列いただいた来賓、崇敬者の 方々からは厚いご協力とご支援をいただいて無事行うことができました。本当にありがとうございました。(1300年祭の記事はこれで終わりです)

金峯神社御創建1300年祭その6

2009年10月16日 金曜日

奉祝祭はそろそろ終盤です。

7月ですと日が暮れるのはだいぶ遅いんですが、この日は残念ながら午後から大雨で真っ暗です。

雅友会(がゆうかい)・葭風(かふう)会の皆様より筝と尺八の合奏を奉納していただきました。

雅友会・葭風会 雅友会・葭風会2

普段めったに聴く機会がない筝や尺八です。神事にも筝は奏上されることはあるんですが、地方の普通の神社ではまずないかと思います 。三味線や筝など弦が雨に濡れると駄目なものですから車から社殿への搬入に大変気を使いました。運搬には氏子青年会の方々がご尽力いただきました。

曲は六段の調べと 八千代獅子を奉納していただきました。

雨の調べに筝の音色が心に染み渡るようでした。また尺八の寂びに心が落ち着き時間がゆっくりと流れる余韻に浸りました。

次に雅楽の奏上です。長岡雅楽愛好会の皆さんです。

奉納いただいた曲は、平調音取・五常楽急・越天楽・陪臚・ふるさとの5曲です。

雅楽1 雅楽2

長岡雅楽愛好会の皆さんには1300年祭の神事でも雅楽を奏上していただきました。神事と雅楽は非常に密接な関係があるのですが、なかなか奏上する機会がないのが実状です。龍笛・篳篥・笙の三管と太鼓・鞨鼓・鉦鼓 ・釣太鼓の三鼓から成り立っています。

晴天でしたら外で篝火(かがりび)のもと奏上していただく予定だったので残念ですが、またいつかの機会にお願いしたいと思います。

途中愛好会の方より雅楽について説明があり、司会の松本さんが実際に吹いてみること・・・

雅楽3

写真の楽器は笙です。パイプオルガンと構造が似ていますが、吹く感じはハーモニカというか・・・音はすぐ出ます。

金峯神社御創建1300年祭その5

2009年10月15日 木曜日

奉祝行事も中盤に差し掛かりました。

二田物部神社の神楽舞です。

二田物部神社神楽舞

二田物部神社神楽舞

奉納していただいた舞は岩戸舞と醜女の舞です。二田物部神社の宮司様を始め大勢の舞関係者よりご来社いただきありがとうございました。岩戸舞は、天照大神が岩戸に隠れ八百万の神々が相談し再び世の中が明るくなったという神話 の舞です。醜女の舞とは火の神を産んで時の火傷で亡くなられたイザナミノミコトを追う夫のイザナギノミコトの神話を舞にしたものです。

古事記や日本書紀といった古典には、日本の国がどのような成り立ちで国づくりが始まったのか 神話として伝えられています。最近ではまったく神話について教えられる機会がなくなってしまいました。神話の中には誇張や物語化されているものが当然あるとは思いますが、国の歴史の大切な1ページとしてもっと大切にされるべきだとは思いませんか?

神話や神話に記載される今に現存する神社や地名・各地の遺跡など一つにつながっています。国や国民のアイデンティティとしてその価値が再発見されることを望みます。舞をみていてそんなことを考えました。

津軽三味線の奉納です。目当てに来られた方が多かったです。大変な人気なんですね。

津軽三味線

奉納は木田林松勝先生以下、勝栄会(かつえいかい)の皆様です。

実際に生で三味線を聞く機会は初めてでした。心を揺さぶるというか気持ちに訴えかける音が印象的でした。この頃には外はもう激しい雨で三味線が濡れないよう 苦心されていました。こちらの準備の不手際をただただお詫びするばかりですicon_cry.gif

つづく

金峯神社御創建1300年祭その4

2009年10月14日 水曜日

次に浦安の舞の奉納です。

浦安の舞浦安の舞2

浦安の舞というのは、紀元二千六百年(昭和十五年)11月10日に全国の神社で世界平和の祈りを込め一斉に斎行され今なお盛んに奉奏される舞です。時の宮内庁楽長 多忠朝(おおのただとも)氏により作曲振り付けされました。「浦安」とは心の安らかという意味で平和を祈る心の舞であり、古くより日本を浦安の国といったのは風土が美しく平和であったからです 。

舞は非常に美しく洗練されていました。浦安の舞は「新潟県神道青年協議会」という県内の若手神職の会から奉納していただきました。2人の女子神職の方々には、朝から献茶祭・1300年祭の奉仕も勤めていただきました。ありがとうございます。新潟県神道青年協議会のホームページはこちら。実は私も会員の一人です。

長岡フルートアンサンブル次に長岡フルートアンサンブルの方々から「日本のうた」をテーマにフルートを奉納していただきました。 村祭り・ジュピター・世界に一つだけの花・宵待草・浜辺の歌などです。フルートの涼しげな音色と色とりどりの浴衣がとっても素敵でした。

平成17年の社殿修復の完工祭でもフルート奉納をしていただき大好評でしたので今回も奉納をお願いいたしました。

金峯神社御創建1300年祭その3

2009年10月14日 水曜日

神事のあと直会が行われ、午後4時より奉祝祭が行われました。

奉祝祭もそうなんですが、この祭りのテーマを「神人和楽」と名づけました。 神と人とが祭りを通じて共に享楽することによって神の力を得ることで、もともと舞や神楽、日本における音楽などは神様に捧げるものでした。それは人の神への感謝の表れであり、楽を通じた神と人とのコミュニケーションでした。そしてそれを行う場所・時が祭りであり、祭りを通じて地域の人と人の和も深めてきたのです。

このところを神職として、どうしても再確認してもらいたいと思っていました。

金峯神社-宮清まず最初に金峯神社の神楽舞「宮清」が舞われました。当社の神楽は越後中越地方に伝わる出雲流といわれる神楽のルーツであり、当社から広く各地に神楽が伝播しました。その中の「宮清」は必ず最初に舞う舞です。当社の神楽は表十二座・裏十二座の二十四の舞があったのですが、残念のことに近年は舞う人も少なくなり神楽保存会も活動が低下しています。

この日は午前中こそ曇り空だったのですが、ここで急に雨が降り出し急遽拝殿の中で会場変更しました。

金峯神社-稚児舞 金峯神社-稚児舞2

次に金峯神社の稚児舞が奉納されました。毎年氏子を中心とした小学生の女の子から例祭に舞ってもらってます。今年は1年生の女の子が4人加わり賑やかです。また笛と太鼓も高齢化して消滅寸前だったものを小学生中心に 行うことができました。2枚目は3、4年生です。今年はこの1300年祭のため特訓を積んできたので、例年になくレベルが高くなりました。

神田囃子

次に神田囃子の奉納です。金峯神社の鎮座する長岡市蔵王より1kmほど南でしょうか勝田町に伝わる囃子です。神田の祭礼では大船屋台(たいせんやたい)が町内を巡幸し賑やかな 祭りが行われています。約800年前順徳天皇が佐渡へ配流された折、当時の神田村民が京都の祇園囃子を会得し年に一度佐渡へ渡りこの囃子でお慰め申し上げたといいます。以降蔵王権現(金峯神社)の祭礼に長岡十八ヶ町より山車を奉納(現在はない)し、神田からも大船屋台が奉納されました。現在も7月第2土曜に神田少彦名神社で奉納されます。神田囃子保存会のホームページはこちらです。

その4につづく。