2012年3月 のアーカイブ

日本の神さま③

2012年3月7日 水曜日

水にまつわる神さまを水神と言いますが、一口に水神と言っても様々な信仰が存在しています

例えば飲料水などを汲む井戸にお祀りする神さまは井戸神と言いますし、流れる川には川の神さまがお祀りされます

水神は蛇や龍、河童などに姿を変えて時折人前に姿を現すとの伝承も各地で残っていますし、前述した存在が水神の使いだとされる場合もあります

水を司る神さまの御姿で蛇や龍が多いのには諸説ありますが、田圃をウネウネと泳ぐ蛇に畏敬して祀ったとも、大陸から渡って来た仏教の経典に影響されたとも言われています

龍の発祥は中国であり、その姿は角は鹿、頭は駱駝、眼は鬼或いは兎、身体は蛇、腹は蜃(しん)と言う巨大な蛤の様なモノ、背中の鱗は鯉、爪は鷹、掌は虎、耳は牛に似ていると言われていますが、中国で仏教が流行った折に蛇神或いは水神であるナーガが経典の中で竜王などと訳され、それが段々と習合されていきました

水神さま=竜、を怒らせると旱魃が、お祀りすると雨を齎すと言う由来はこのナーガと言うインドの神さまの影響が強いようです

また海を司る神さまを海神、ワタツミの神などと言います

海の恵みを齎し、海難から人々を守ってくれる神さまと崇められています

亀や魚や貝など、海の中の生き物は海神の使者であると考えられており、それを助けた為に海の底の宮殿へ行く事が出来たと言う説話を聞いた事がある人も多いのではないでしょうか

 

ここからは余談となりますが、浦島太郎の結末には諸説あります。現在良く知られている竜宮城へ行き、地上に帰って玉手箱を開けたら年老いてしまった、と言うのは室町時代に成立した『御伽草紙』による所が多いようです

原型と思われる話は『日本書紀』にあり、簡単に訳すと「船に乗って釣りをしていると亀が釣れました。その亀は女に化けたので夫婦になり一緒に海に入りました。すると蓬莱山(仙人が住むとされる山)に着いて、歴史を見守る仙人となりました」と言うお話です

より古い信仰ほど海と山の繋がりを強く感じさせる気がします(大)

日本の神さま②

2012年3月6日 火曜日

私たちが生活を営んでいる現世(うつしよ)には数多の神が宿っていますが、古来より日本民族に敬られて来た神さまの中に山の神さまがいます

山にかかわる神さまの総称として山の神と便宜的に称しますが、山一つとっても実に多くの神さまが関わっておられます

山は生物や鉱物、樹木や果実や川を為す水など、生活に関わる全てのモノを齎すとも言えるので、山から齎せられるモノの全ては山の神さまのお陰だと信じられてきました

そこから派生して、様々な神さまと同一視される事も多く、山の神様である大山祇(おおやまつみ)神は別名を和多志(わたし)大神と言い、山と海を司る神さまとも言われています

特に稲作にかかわる人たちの間では田圃の水が山から齎される事から山の神さまは春には田の神さまとして山から下りてきて、収穫が終わると再び山に戻られると言う信仰が古くからあり、その為に同一の御祭神でありながら山の麓に本社を、頂に奥宮を建立している山もあります

また、奈良県の大神(おおみわ)神社の三輪山、茨城県の筑波山神社の筑波山など、山の全てが御神体として崇められている神社もあります

大山祇神、大山咋(おおやまくい)神、菊理媛神(くくりひめ)神などが山の神として知られており、鉱山などに於いては金山彦神、金山姫神が多く祀られています(大)

 

 

 

大山祇神、大山咋(おおやまくい)神、菊理媛神(くくりひめ)神などが山の神として知られており、鉱山などに於いては金山彦神、金山姫神が多く祀られています(大)

日本の神さま①

2012年3月4日 日曜日

日本には八百万(やおよろず)の神さまがいらっしゃると言われています

八百万とは文字通りの数の神さまがいらっしゃると言う訳ではなくて、数え切れないほど沢山の神さま、と言う意味になります

『古事記』や『日本書紀』出て来る神さまだけが神さまと言う訳ではなく、その地域に根付いた土着の神さまや、或る地域に貢献して神さまとして祀られた人物、特殊な由来のある神さまなど、本当に様々な神さまがいらっしゃいます。

 

元々日本民族は四季の移り変わりに敏感に反応して生活の営みを続けてきました

農耕民族として太陽や雨、風や海と言った自然の恵みは生活の根本を為すモノでしたし、自然界で起こる天変地異は神さまの怒りなどとして畏れ、少しでも和らげて人間では到底どうしようも出来ないその力を恵みとして賜ろうと敬った事に信仰の始まりがあると思います

 

暫くの間は日本の神さまについてブログを更新していきたいと思いますので、どうぞよろしくお願い致します(大)

雛祭り

2012年3月2日 金曜日

明日は3月3日、女の子が主役の雛祭りの日です。家庭では雛人形を出したり菱餅を買ったりと準備に余念がないのではないでしょうか

何気ない行事に見えますが、雛祭りは健やかな女の子の成長を願い昔の人が洗練してきた伝統的な文化です

平安時代に貴族の子女の『雛遊び』が由来であるとか、同じく平安時代に紙で作った人形を川へ流す『流し雛』が災厄除けの『守り雛』として祀られる様になったなどと諸説ありますが、現在一般的に家庭で飾られる豪華絢爛な雛人形は江戸時代になってから作られ始めました

昔は簡単な紙で作られたモノだったので川に流したり子どもの遊び道具として使用できましたが、現代の雛人形はとてもじゃないですが一年毎に川に流すなんて事が出来るような代物ではないのは、『一生の災いを子どもの代わりに被って貰おう』と言う祭礼的な意味が強くなったからだと言われています

江戸幕府が出来るまでは俗に言う戦国時代。明日の我が身も分からない様な時代だったので、平和な世の中になったからこそこの流れになったのでは、と私は思います。武士の子女の嫁入り道具の一つとも言われてますから、とても華美で贅沢なモノがあったかもしれません

 

雛祭りとのご馳走と言えば菱餅やお吸い物などが定番ですがこれにもそれぞれちゃんとした意味があります

菱餅は赤、白、緑の3色で作られる事が多いと思いますが(地方によっては5、7色の菱餅もあり)、赤の餅は厄を祓う力があると信じられている桃(の花)を、白の餅は清らかな残雪を、緑の餅は芽吹く春草の新芽を表現しています

多くのお吸い物には蛤を使用しますが、蛤は元々対の殻としか合わさらない事から夫婦和合、或いはピッタリと合う伴侶を見つけられます様にと願って食されます。

 

子を思う気持ちはいつの時代も変わらない、と言う事でしょうか。原義を忘れていたとしても慣習として残っている雛祭りの伝統は、子どもの為に、と言う親の愛情がこもっている日本の文化だと思います(大)

 

堀直嵜公銅像と夕焼け

2012年3月1日 木曜日

晴天が続き、少しずつ雪が解け始めています。

春の足音が感じられるここ数日の天気です。

堀直嵜公の銅像が少し暗いですが・・・

夕焼けに映えて美しさのあまり写真を撮りました。

長い冬のトンネルを抜け春はもうすぐそこです。(桃)