‘社務日誌’ カテゴリーのアーカイブ

稚児舞

2011年7月11日 月曜日

毎年の例祭に奉納する「稚児舞」という舞が当社にありまして、小学校の女子が舞を舞っています。

毎年例祭近くになると練習を始めますが、今年は新しく入った1年生2年生の子が、毎日がんばって練習しています。

稚児舞の練習

最初の奉納は特に緊張すると思いますが、いい舞が奉納できますように。

子どもたちのがんばる姿を見ていると経験を積む、場数を踏むことはとても大切だと気づかされます。

自信をつけて成長していってほしいと思います。

茅の輪を設置しました

2011年6月18日 土曜日

6月30日に執り行われる「夏越し大祓神事」の為の茅の輪を本日設置いたしました

茅の輪のそばに参拝方法が記された看板が御座いますので、どうぞご覧になりながら茅の輪くぐりを体験してみてください

なお、引き続き拝殿前にて茅の輪神事の受付を行っておりますので、そちらもご利用ください(大)

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御田植神事

2011年6月17日 金曜日

先日百笑会さんの依頼で、百笑会さんが皇室献上される粟の御田植神事を行ってまいりました。

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関係者参列のもと、神事を執り行い献上される粟の順調な生育と百笑会様の発展など現地で祈願してまいりました。当日は早朝雨が振り、神事の執行も危ぶまれるような天候でしたが、時間近くなるにつれ雨が上がり、時折晴れ間も除く晴天でした。

御田植神事(御田植祭)は神功皇后が神饌田(おみた)を作らせた際に行われたのが始まりだといわれています。一年の間に力強く成長する苗には、強力な穀霊が宿るものと古代では考えられていました。また田植えに際して音楽を奏で、歌をうたい踊りや舞を演じるなど、田や植付する苗に宿る穀物の力を増やすためです。穀物が豊かに育ち、稲穂が十分に実る秋を迎えるための儀式として、今でも行われています。

また神道を語る上で五穀(ごこく・いつくさのたなつもの 稲・麦・粟・豆・稗または黍など諸説あり)、特に稲とは切り離せない関係にあります。 日本は長い間農業国であり、米作りが国の成り立ちと深い関わりがあり、神社で行われる祭祀でも、祈年祭(きねんさい・としごいのまつり)が毎年2月17日に行われ、穀物の豊穣や国の安泰を祈念し、また新嘗祭(にいなめさい)が11月23日に行われ、豊かに稔った新穀を神前にお供えし神様の恵みに感謝にしていました。11月23日は「勤労感謝の日」として国民の祝日に定められていますが、もともとは新嘗祭から来るものであって「勤労」を感謝する日などではないですよ!そして初物は必ず神様にお供えしてからいただくのが本義です。便利な世の中にあって、便利なことが当たり前になると感謝する心を忘れがちですが、昨今の電気節約など便利さが損なわれる経験 の中で、恵みを享受できることに感謝する心が芽生えれば、と思います。

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祭典後、粟を早速苗づけしました。私も少しばかり手伝わせていただき貴重な体験をさせていただきました。見渡すと辺り一面の畑と青い空。雨の後の涼しく抜ける風。気持ちのよい一日でした。順調に生育された粟が稔り献上されますこと願っています。(桃)

こどもの日

2011年5月5日 木曜日

本日、五月五日はこどもの日! ご自宅で鯉のぼりを揚げたり菖蒲湯に浸かったりする方もいるのではないでしょうか?

調べてみるとこどもの日とは、昭和23年(1948年)に「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかると共に、母に感謝する」と言う事を趣旨として制定されたようですicon_eek.gif

さて、こどもの日と関わりが深い行事が「端午の節句」ですが、これは本来五月五日を示している言葉ではありません

元々は「端」は物事のはし、つまりは始まりを表していたので、端午の節句とは「その月の初めの午の日」と言う意味で、毎月あった行事なのです

ですが次第に「午」が「五」に通じる事から毎月五日になり、その中でも数字が重なる五月五日のみを「端午の節句」と呼ぶようになっていったらしいです

昔は女性の為の行事で、田植え前に女性だけが家の中に閉じこもって穢れを祓う「皐月忌み(さつきいみ)」と言う風習と中国から伝わった端午が結び合わさったモノだとされています

ところで、何故菖蒲湯に浸かり柏餅を食べ鯉のぼりを揚げ鎧兜を飾るのかと言うと、これにはキチンとした理由があります

菖蒲の葉は匂いが強くその強烈な香気が魔を避けるとされ、鎌倉時代、つまりは武家社会へと移るにつれて菖蒲が「尚武」に通じ、また葉の形が刀に似ている事から男の子のたくましい成長を願う様になり、また鎧兜を飾る事で男の子を護る、と言う意味合いがあったそうです

また柏の葉は新芽が出るまで古い葉が落ちないと言う性質を持っており、それが「こどもが育つまで親は死なない」=「家系が絶える事がない」と言う縁起に結び付け、徳川9代~10代の頃に、元のお菓子はあったでしょうが「柏餅」として広まった様です

鯉のぼりも江戸時代、特に関東地方で広まったモノですが、中国の「黄河の急流にある竜門と呼ばれる場所を様々な魚が昇ろうと臨んだが、ついに鯉だけが昇り切りやがて竜になった」と言う故事を元にしています。鯉の滝登り、つまりは立身出世を表しているのです

当初は黒い真鯉のみが揚げられましたが、明治時代には緋鯉、昭和時代には子鯉(青)を揚げる様になりました。最近では様々な色の鯉のぼりがあるので、一概に男児の行事ではなくなってきました

たまに見かけるオレンジとかピンクの鯉のぼり、可愛いですよねicon_smile.gif

蔵王堂城から当社境内に掛けて、濠の上を鯉のぼりが優雅に泳いでいます。どうぞ参拝の折にご覧下さい(大)

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新緑の緑

2011年5月2日 月曜日

ゴールデンウィークを迎え行楽日和の天気となってまいりました、と言いたい所ですが、ちょっと風が肌寒いですね

ここ数日の小雨と強風で蔵王堂城の桜はほぼ散ってしまいました

去年はまだお情け程度に残っていたんですがicon_sad.gif

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しかし大欅を含め境内の木々は緑を濃くしていますicon_smile.gif

ところで、「大欅に新緑が出ないと他の木が緑色にならない」と言う話を耳にして暫く観察していたんですが・・・

一番の古木(樹齢約八百年)なのでイメージ的には一番最後に緑色になるのではないかと思っていたんですが、なるほど、確かに大欅の緑が濃くなるのを見送ってから他の木の緑が増している気がします

老いてますます壮(さか)んと言う故事を表現しているようでもあり、師匠の動きを一瞬たりとも見逃さない弟子の姿勢のようでもありました(大)

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