‘神社の歴史や由緒’ カテゴリーのアーカイブ

井上井月句碑

2017年6月5日 月曜日

近年問い合わせが多い、境内の井上井月の句碑について紹介いたします。

井上井月(いのうえせいげつ文政5年<1822年>? – 明治20年<1887年>)は江戸末期から明治初頭の俳人。越後長岡の生まれと伝えるが、生涯の前半は不明な点が多い。30代半ばより信州伊那谷を中心に活動し、放浪と漂泊を主題とした俳句を詠み続けた。その作品は、後世の芥川龍之介や種田山頭火などに大きな影響を与えた。

 

句碑にはこう記されています。

行暮し 越路や榾(ほだ)の 遠明り

越路は北陸道の古名。越の国は福井・石川・富山・新潟の諸県だが、ここは井月の出身地新潟県の何処かであろう。歩いて行く途中で日が暮れる心細さ。囲炉裏にくべた薪がとろとろ燃える。榾の火の遠明りが障子越しに見えて懐かしい。一家団欒の日が蘇る。若いころ越路を迷った際の追想か。心細さと懐かしさのない交ぜの句。

 

晩秋から冬にかけて?の雪国の日が落ちる早さや遠くから見える障子越しの明かり。雪国の景色を情景豊かに捉えていると思います。30年ほど前に井月会によって建てられた句碑ですが、近年井月の生涯をテーマにした映画「ほかいびと」や熱心な井上井月ファンの方々の努力のおかげか句碑の問い合わせをいただくようになりました。句碑を通してこの情景を思い浮かべてみてはいかがでしょうか。(桃)

 

松代藩士の墓

2015年3月22日 日曜日

深く積もった雪もいつの間にか解け、土の匂いも春らしい穏やかな天気が数日続いています。

一の鳥居から出たところ、飛び地境内などといったりしますが、そこにある松代(まつしろ)藩士の墓についてご紹介したいと思います。

戊辰戦争において当時の長岡藩は旧幕府軍を支持し、明治新政府軍と激しく対立し長岡藩周辺で繰り広げられた戦乱を北越戦争といいます。

慶応4年(1868年)5月新政府軍は長岡城を攻略し、城はわずか半日で落城。長岡藩士は栃尾方面へ退却、加茂に集結し再び見附を奪回し、7月に長岡の八丁沖の戦いに甚大な被害を出しつつも勝利し奪還しました。

この墓はこの八丁沖の戦いにおいて蔵王に追い詰められ孤立した新政府軍を支援するため、長岡藩士と戦い命を落とした信州松代藩士14名を弔うために明治元年(1868年)10月に建てられたものです。IMG_2036 IMG_2037

お稲荷さまについて

2012年3月15日 木曜日

全国の神社の中で最も多いと言われている神社をご存知でしょうか?

その神社は生命の活性化を表し災厄を防ぐと言われている赤色の鳥居が目立ち、狛犬ならぬ狛狐が参拝者を見守ってくれています

油揚げを煮てご飯を詰め込んだお寿司もこの神社の名前がついています・・・と記した所で題名に答えが書いてある事に気が付きました

稲荷神社、と言う神社が全国で一番多いと言われております。氏神としての神社はもとより、家の守り神や会社の守り神としての数を含めれば、とても多くの御分霊が総本社である京都の伏見稲荷大社から勧請されているのではないでしょうか

江戸時代の流行り言葉に『火事・喧嘩・伊勢屋・稲荷に犬の糞』とありますが、これは当時江戸の街中で多かったものを羅列しているそうです。江戸と言えば火事に喧嘩に、伊勢屋と名乗る商家にお稲荷さまを祀った場所に犬の落とし物が沢山あった、と言った所でしょうか

『宇迦乃御魂大神(うかのみたまのおおかみ)』を主祭神とし、『佐田彦大神・大宮能売大神・田中大神・四大神』を共に配祀し五柱の神を祀っていますが、これは『稲荷大神』の広大な御神徳を神名化したものだとされています ※神さまの名前(御神名)は、その地域やその時代によって変化する事があります。挙げた御神名は一例ですのでどうか御留意下さい

 

元々は農業の神さまとして信仰されて来ましたが、物事を生み出す生成発展の信仰から商売繁盛の神さまとして信仰されています

稲荷神社のお祭は「初午祭」が有名です。伏見稲荷大社の神さまが三ヶ峯に降り立ったのが和銅四年(711)の旧暦二月の初めての午の日であった事に由来し連綿と祭祀が行われています

様々な祭祀があり、この辺りでは五色の紙札に子どもの名前を書いて心身健全成長を祈願する習わしがありますし、ハロウィン的な要素を含んだ神事が執り行われる所もあります

旧長岡市内では稲荷と名付けられているお社は約12社ありますが、ご家庭や会社の敷地内にあるお社を含めるともっと多いかもしれません

 

余談ですが、狐と言えば油揚げ! と思ってる方も多いと思います(私だけでしょうか?)

狐=油揚げと言うのは、仏教が日本に取り入れられてから出来上がったモノです

インドのダーキニーと言う神さまはジャッカルを眷族としますが、この神さまが稲荷神に習合される様になると稲荷神は狐を眷族とする事になります

ダーキニーを信奉する人たちは当時貴重な栄養源である鼠のフライをお供えしますが、日本の仏教は戒律が厳しく殺生を禁じる宗派が多いので、とても頭を悩ませました

そこで豆腐の油揚げを代わりに・・・と言うのが、狐=油揚げの由来となったそうです(大)

 

 

 

 

 

春祭り(上高見・諏訪社)

2011年5月18日 水曜日

前回の続きで、上高見の諏訪社を紹介します。

御祭神 建御名方命(たけみなかたのみこと)

由 緒 創立年代は不詳、高見町の産土神である。南北朝時代の越後は蔵王堂(現蔵王町 金峯神社)を分岐点とし是より北は北朝方、以南は南朝方の勢力範囲であった。高見は北朝方で下高見村の粉川氏・伊丹氏一族が属し、のち楠氏一族が当地に移住し、その勢力挽回に努め「楠」字の「木」を捨てて姓を「南」と改め、専ら荒野を開墾し時期到来の機を伺っていたと伝う。南氏の祖は農業の神、諏訪大神の御神霊を奉って氏神と定め、五穀豊穣の祈願をなした。これを以て当社の創建とし、境内社の十二神社は旧氏子中の邸内社で有ったものを当社の境内神社として移し奉った。境内は旧来鬱蒼としていたが明治初年の上地の際伐採し、明治三十三年、耕地整理に伴い境内地を整備した。

境内社 十二神社 (御祭神 大山袛命 創立年代は不詳)

上高見 諏訪神社

春祭り(高見町・結社)

2011年5月17日 火曜日

5月に入ると、長岡地域では春祭りが多い時期になります。

去る15日もも長岡市内高見町の結社と諏訪神社に祭礼を奉仕してきました。

一日で上高見の諏訪神社と、下高見の結社の祭礼を行いました。

写真等撮る余裕がありませんで、申し訳ありません。14日は大変な強風の天候だったんですが、15日は穏やかな五月晴れ。

子どもたちの神輿の声が境内をこだましていました。(この地域は大変子どもたちが多い地域です)

本年度は先に結社より神事を行いました。下高見 結社の由緒を ご紹介いたします。↓

ご祭神 結社・・・・・・高見産霊命(たかみむすひのみこと)

諏訪社・・・・建御名方命(たけみなかたのみこと)

由 緒 創立年代不詳、下高見町の産土神である。高見の庄はこの地方における最古の土地と言い伝える。社伝によれば、出雲系氏族の粉川氏・伊丹氏は当地に移住し荒野を開き、社殿を建立し天神高見産霊命を奉祀した事に始まるという。村名は神名に因んで高見村とし、神名の産霊(ムスヒ)を取りて「結(ムスヒ)」と社名と定めた。一族の長は城濠を築き、毎年の祭儀も全て怠りなく祭政一致の施策を執り、相当の規模を有し鬱蒼とした社木が境内を塞いだという。これが為に世人は権現様、高見の権現様の森などと称されたが、明治初年の上地の際古木は伐採され、社殿は維新の際炎上し一時は仮宮となり神社の形態を具備せず、境内地は私有地払下げとなる。また戦後は農地解放となり、加えて昭和三十六年九月十六日、第二室戸台風により社殿が倒壊した。昭和五十一年高速道路の開通により同地積に所在の諏訪社に合祀された。

結社上高見諏訪神社は後日紹介します。(桃)