金峯神社御創建1300年祭その3

2009年10月14日

神事のあと直会が行われ、午後4時より奉祝祭が行われました。

奉祝祭もそうなんですが、この祭りのテーマを「神人和楽」と名づけました。 神と人とが祭りを通じて共に享楽することによって神の力を得ることで、もともと舞や神楽、日本における音楽などは神様に捧げるものでした。それは人の神への感謝の表れであり、楽を通じた神と人とのコミュニケーションでした。そしてそれを行う場所・時が祭りであり、祭りを通じて地域の人と人の和も深めてきたのです。

このところを神職として、どうしても再確認してもらいたいと思っていました。

金峯神社-宮清まず最初に金峯神社の神楽舞「宮清」が舞われました。当社の神楽は越後中越地方に伝わる出雲流といわれる神楽のルーツであり、当社から広く各地に神楽が伝播しました。その中の「宮清」は必ず最初に舞う舞です。当社の神楽は表十二座・裏十二座の二十四の舞があったのですが、残念のことに近年は舞う人も少なくなり神楽保存会も活動が低下しています。

この日は午前中こそ曇り空だったのですが、ここで急に雨が降り出し急遽拝殿の中で会場変更しました。

金峯神社-稚児舞 金峯神社-稚児舞2

次に金峯神社の稚児舞が奉納されました。毎年氏子を中心とした小学生の女の子から例祭に舞ってもらってます。今年は1年生の女の子が4人加わり賑やかです。また笛と太鼓も高齢化して消滅寸前だったものを小学生中心に 行うことができました。2枚目は3、4年生です。今年はこの1300年祭のため特訓を積んできたので、例年になくレベルが高くなりました。

神田囃子

次に神田囃子の奉納です。金峯神社の鎮座する長岡市蔵王より1kmほど南でしょうか勝田町に伝わる囃子です。神田の祭礼では大船屋台(たいせんやたい)が町内を巡幸し賑やかな 祭りが行われています。約800年前順徳天皇が佐渡へ配流された折、当時の神田村民が京都の祇園囃子を会得し年に一度佐渡へ渡りこの囃子でお慰め申し上げたといいます。以降蔵王権現(金峯神社)の祭礼に長岡十八ヶ町より山車を奉納(現在はない)し、神田からも大船屋台が奉納されました。現在も7月第2土曜に神田少彦名神社で奉納されます。神田囃子保存会のホームページはこちらです。

その4につづく。

金峯神社御創建1300年祭その2

2009年10月13日

7月26日(日)に行われた御創建1300年祭ですが、午後2時より御創建1300年の奉告祭を斎行致しました。100名を超える参列者の臨席のもと無事行うことができました。

神事1神事2

気の遠くなるような長い時間を掛けて築き上げられた伝統や文化の大切さについて大勢の方々に感じてもらいたいと思っていました。これだけ変化の激しい世の中で伝統文化について考える余裕は普段あまりないかと思います。しかしこの1300年祭の中で少しでも何かを肌で感じてもらえることができたでしょうか?このお祭りを行うにあたり、紆余曲折というか非常に困難があったんですが予想に反し(?)大勢の方々から出席いただいて有難く思っております。

その後 直会が行われ、夕方から夜にかけて奉祝芸能が奉納されました。(つづく)

金峯神社御創建1300年祭その1

2009年10月12日

金峯神社は和銅2年(709年)創建と伝えられ、この平成21年に創建以来1300年を迎えました。

これを記念し1、社務所再建 2、神輿庫再建 3、御創建1300年祭の斎行 の3つの記念事業を行う計画を立て 、去る7月26日(日)に御創建1300年祭を無事執行いたしました。後始末やいろんな行事でバタバタとしていて大変遅くなってしまったんですが、ブログで報告いたします。

1300年祭は午前中に宗偏流の方々より献茶祭を執行し、蔵王堂城跡にて野点、茶が振舞われました。
献茶祭

野点

また社務所では社宝の玉簾が一般公開され大勢の参拝の方々が拝観されていました。

記念事業で建設された社務所や神輿庫もこの日までに無事竣工を迎えました。

玉簾社務所

はじめまして

2009年10月11日

この度金峯神社のブログを開設することになりました。

慣れていませんし、勝手もわかりませんのでうまく書けるかどうかわかりませんが、

なるべく頻繁に更新したいと思います!!


「男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり」

平安時代の随筆家紀貫之 はこう記して、日本文学史ではじめての仮名による散文「土佐日記」を遺しました。

とてもかないませんが、神社の出来事やお知らせ、神道についての様々な話などできるだけわかりやすく紹介できればと思います。

よろしくお願いします!