毎月一日と十五日に月次祭という祭事を行っています。(但し1月1日は歳旦祭、4月と7月の15日は大祭の為除く)
月次祭は御祭神に世界平和、国家安泰、皇室の繁栄、崇敬者の健康と安全等などを祈願する祭典です。また1日や15日は神棚に供えている榊や神饌などを取り換えるのに良い日とされています
月次祭にご参列をご希望の方は、二時までに拝殿へご参集お願い致します
費用などは掛かりません。ご参列の後に拝殿前にある榊を持ち帰り神棚に供えてはいかがでしょうか(大)
毎月一日と十五日に月次祭という祭事を行っています。(但し1月1日は歳旦祭、4月と7月の15日は大祭の為除く)
月次祭は御祭神に世界平和、国家安泰、皇室の繁栄、崇敬者の健康と安全等などを祈願する祭典です。また1日や15日は神棚に供えている榊や神饌などを取り換えるのに良い日とされています
月次祭にご参列をご希望の方は、二時までに拝殿へご参集お願い致します
費用などは掛かりません。ご参列の後に拝殿前にある榊を持ち帰り神棚に供えてはいかがでしょうか(大)
神社にお参りをする前に手と口を清めてから参拝をするのが神社参拝の正式な参拝作法ですが、この手と口を清める所が手水舎(御手洗場)と言う場所です
手と口をすすぐ事によって、心身全てを綺麗にする象徴的な行為で、古くは神社に参拝する時は海や川に入ったり水をかぶったりして身に付いている罪や穢れ祓い落とす禊と言う行為があるのですが、それの簡略化された行為とされています
一般的に手水舎には柄杓が置かれており、それを使用して行為を行いますが、それにもちゃんと一連の作法があります
①右手で柄杓を取り水をすくいます。すくった一杯で一連の動作を行うので、なるべく多めにすくいましょう
②まずは左手に水をかけ、柄杓を左手に持ち替えて右手をかけて清めます
③もう一度右手にその柄杓を持ち替えて、左の手の平にに少量の水を溜 め、その水を口に含み音を立てずにすすいだ後、左手で口元を隠し腰を屈めててそっと吐き出します(口をすすぐ時は柄杓に直接口をつける事はしません)
④そして最後に柄杓を両手で持ち、 残った水が柄の部分を流れるよう立てる様に傾けて柄を洗い、柄杓を元の位置に戻します
概ねどこの神社でもこれが一般的な作法となります
下の写真は当神社の手水舎ですが
水口(水の出る場所)は龍神となっており
水口は御神使(神の使い)を模していたり竹製であったりと多種多様ですし、手水舎は結構ユニークな彫刻や構造をしたモノもあります
神社参拝の際はじっくりとご覧になってはいかがでしょうか? 今までに見た事がないようなモノが見つかるかもしれません(大)
しめ縄について説明したいと思います。
神社の社殿やご家庭・事業所の神棚などしめ縄を張りますよね。
しめ縄は正式には「注連縄」とか「七五三縄」と書き、社殿の他にも御神木や手水舎、社務所や授与所など神社の至る所に張ってあります。これは清浄な(神聖な)場所の境界を示すものです。神社はその境内自体清浄な所ですが、中でも特に清浄を保つところにしめ縄を張ります。
しめ縄は普通の縄のように見えますが、縄をなう時に「左綯い(ひだりない)」といって通常の逆になっています。そこに紙垂(しで)という紙をつけます。紙垂は昔は麻や木綿などが多かったのですが、現在では紙を用いることが大半です。
しめ縄の歴史は古く、『古事記』の中の「天岩戸開き」に出てきますが、聖と俗を画する境界線と考えたらよいと思います。境内以外にも地鎮祭など他の場所でお祭りを行う時にもしめ縄が張られます。
毎月一日と十五日に月次祭という祭事を行っています。(但し1月1日は歳旦祭、4月と7月の15日は大祭の為除く)
月次祭は御祭神に世界平和、国家安泰、皇室の繁栄、崇敬者の健康と安全等などを祈願する祭典です。また1日や15日は神棚に供えている榊や神饌などを取り換えるのに良い日とされています
月次祭にご参列をご希望の方は、二時までに拝殿へご参集お願い致します
(参列される方はお志を賽銭箱に納め、参拝の後ご昇殿下さい)
費用等はかかりません。お気軽にご参列ください。 (桃)
本日は「建国記念の日」と言う国民の祝日に当たります。これは昭和四十一(1966)年に「建国をしのび、国を愛する心を養う」と言う趣旨の「建国記念の日」を定める国民の祝日に関する法令の改正が成立した事により、当時の佐藤栄作内閣が建国記念となる日を定める政令を定め、即日施行されたことにより、翌年昭和四十二(1966)年の二月十一日から祝日になっています
これは宮中において行われていた紀元節が元となって出来た祝日で、紀元節と言うのは『日本書紀』の中で初代天皇陛下である神武天皇が即位した日を祝うお祭りです
即位日は「辛酉年春正月、庚辰朔」、つまりは一月一日となるのですが、明治政府は明治五年十一月十五日(1872年12月15日)に一月二十九日を神武天皇の即位日と定めました。何故一月二十九日と言う日に定めたかと言うと、この一月二十九日と言う日は明治六年(1873年)の旧暦一月一日をそのまま新暦に置き換えた日となるんです
また明治六年から旧暦→新暦に移行したので、明治五年は何と12月2日までしか暦上はなかったそうです
その後紆余曲折ありまして、明治六年十月十四日に正式に「紀元節」と言う祭日が決まり、現在では名前を建国記念の日と変更して今日まで受け継がれています(大)
/p