長岡市発展祈願祭・・・8/2午前9時より

今日8月1日より3日まで長岡まつりが行われます。当社では8月2日の午前9時より長岡市発展祈願祭が行われます。

この祭儀について説明したいと思います。

全国に名高い大花火大会が2日3日と行われますが、長岡祭りはそもそも長岡復興祭といい、戦災からの復興がその起源にあります。昭和20年(1946年)8月1日午後10時30分空襲により、長岡市の中心市街地の約8割が焼かれ、死者1,476人罹災戸数11,986戸に及んだといわれています。

翌年の昭和21年(1946年)8月1日に戦災からの復興を願い、長岡市戦災復興祭が行われました。この祭りが次第に大きくなり、昭和25年(1951年)より長岡まつりと名称を変え現在に及んでいます。

 

空襲により中心市街地の大部分を焼失し、各町に鎮座されていた神社も大半が焼失しました。

戦災からの復興を掲げ、その後目覚ましい勢いで復興を遂げたわけですが、各町の神社が再建されるのを願い、御神体・御分霊を当社でお祀りしておりました。(御祭神についてのページの長岡総社をご覧ください)

以来長岡まつりには戦災殉難者の慰霊行事とともに、長岡市発展祈願祭が行われています。

かつては神事の後、当社より壮大な行列が中心地外地へ巡幸していました。そして現在では日時や形式を変え米百俵まつりとして現在に受け継がれています。

大変な迫力のある大花火大会や、今日1日に中心市街地で行われる勇壮な神輿渡御など、長岡まつりには見どころがたくさんありますが、その背景には悲惨な空襲の被害や殉難された方々の慰霊の姿があり、復興に心血を注いだ人たちの情熱を忘れることはできません。

楽しい夏のイベントで終わらせるのでなく、町の歴史として長岡まつりの本来の意味を考えることに意義があるように思います。(桃)

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